義士なり [中国]
『義士なり』
王乃(すなわ)ち紂を伐つ。西伯の木主(ぼくしゅ)を載せて以って行く。
伯夷叔斉馬を叩(ひかえ)て諌めて曰く、父死して葬らず、爰(ここ)に干戈に及ぶ、孝と謂う可けんや。臣を以って君を弑す、仁と謂う可けんやと。左右之を兵せんと欲す。太公曰く、義士なりと。扶(たす)けて之を去らしむ。
太公望呂尚の言葉です。
私の一番好きな言葉です。
司馬遷は『史記』においても、伯夷列伝は列伝の筆頭に置かれています。
それは、『史記』を貫く大テーマのひとつともいえる「天道是か非か」を問いかける絶好の題材だからでしょう。
正しい人が不幸な目にあうのはなぜなのか?
それは、現在でも変わらぬ疑問なのではないでしょうか。
王乃(すなわ)ち紂を伐つ。西伯の木主(ぼくしゅ)を載せて以って行く。
伯夷叔斉馬を叩(ひかえ)て諌めて曰く、父死して葬らず、爰(ここ)に干戈に及ぶ、孝と謂う可けんや。臣を以って君を弑す、仁と謂う可けんやと。左右之を兵せんと欲す。太公曰く、義士なりと。扶(たす)けて之を去らしむ。
太公望呂尚の言葉です。
私の一番好きな言葉です。
司馬遷は『史記』においても、伯夷列伝は列伝の筆頭に置かれています。
それは、『史記』を貫く大テーマのひとつともいえる「天道是か非か」を問いかける絶好の題材だからでしょう。
正しい人が不幸な目にあうのはなぜなのか?
それは、現在でも変わらぬ疑問なのではないでしょうか。